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映画『なまいきシャルロット』(監督:クロード・ミレール)

L'Effrontée [DIR:Claude Miller, フランス, 96分, 1985年]

 タイトル通り、なまいき盛りな反抗期13歳のシャルロットが主役の思春期映画の金字塔。主演はシャルロット・ゲンズブール、撮影当時は実際に13歳(14歳かも)の頃の作品です。

 思春期真っ只中13歳のシャルロットは目に付くもの全てに反抗的な態度をとってしまいます。天才ピアニストとして華やかな生活を送っている同い年のクララへの羨望や、ナイトクラブで遊ぶ大人たちへの憧れと嫌悪が、嫉妬とイライラの塊となって、家政婦のレオーヌ、父や兄、大切な年下の友達ルルへ遠慮なくあたり散らす日々。そうとう生意気な女の子です。
 
 子供の反抗を描いた映画としてはトリュフォー監督『大人は判ってくれない』のアントワーヌ・ドワネルがあまりにも有名ですね。また、本作と同じくシャルロット・ゲンズブール主演・クロード・ミレール監督コンビによって『大人は判ってくれない』の少女版として焼き直されたような『小さな泥棒』という映画もあります。
 アントワーヌ・ドワネルの"反抗"と、シャルロットの"反抗"は全くの別物です。前者は恵まれない環境における社会への反抗であり、製作者(=大人)の社会的反抗心をアントワーヌに託している側面も強く表れています。しかし、シャルロットの"反抗"は、100%自己チューのお子様な反抗心。父や兄、家政婦は、生意気口ばかり叩くシャルロットを叱りつつも、受け入れ、愛情を持って接しています。アントワーヌとは比べ物にならないほど恵まれた環境にいます。要は本当にただの生意気で我儘な少女なのです。
 大人になるにつれて、自分は何には成れて何には成れないか分かってきてしまうので、他人への憧れは有れども嫉妬することは少なくなってきてしまいます。13歳の少女は、今の自分とは違うどんな理想の自分にもなれると思っていますし、実際に、どんな理想の自分にも成れる可能性を秘めています。そのため何にでも嫉妬してしまいますが、現在の状況を変える手段も分からず、自信も失いがちです。イライラはつのるばかり。思春期に通過すべき、ひときわ純粋な反抗なのです。

 生意気ばかりのシャルロットなのですが、そんな彼女をカメラは温かく見守るように撮ります。喚き散らしたり、泣いたり、笑ったりするシャルロットを、まるで親の目線で見守っているかのようです。フランス映画ではありますが、イタリア映画やラッセ・ハルストラム監督作のような温かみがあります。
 また、舞台となるフランスの片田舎の夏の表情や、クララが滞在する閑静な別荘、クララが弾くベートーベンとモーツァルトのピアノ・コンチェルトの旋律がこの映画に優しい彩りを与えています。そして何よりもこの映画を朗らかにしているのは、作中で度々かかるテーマ曲、リッキ・エ・ポーヴェリの"Sarà Perché Ti Amo"です!映画のラストで、シャルロットとルルの静かな会話からこの曲に入る所は大のお気に入りのシーン。

テーマ曲入りのトレーラー↓

 心に残るシーンは幾つもあります。冒頭のプールへの飛び込みの不安、揺ら揺らときらめく水面。パーティーで優雅にモーツァルトを弾くクララを見つめ、独りで立ち去るシャルロット。クララの演奏会に行くために買った真っ赤な服を家政婦レオーヌに批判されブチ切れた挙句泣き出すシャルロットを、レオーヌが母親のように優しくなだめるシーン、代わりにシャルロットのためにかわいい柄のワンピースを置いておくレオーヌ、それを着てクララの付き人になる期待に胸を膨らませて演奏会に向かうシャルロット。
 
 フランス映画というと、どこか別世界のフィルムの中だけの物語として、距離を置いた観方になってしまうことが多いですが、本作は誰もが通過してきた思春期特有のイライラ感をそのまんまシャルロットが演じてくれているため、日本映画と同じくらいに身近な物語として観ることができます。

 そしてもう一つの大きな見所といえば、なんといってもシャルロットの可愛いらしさ。父セルジュ・ゲンズブールが溺愛して『シャルロット・フォーエヴァー』撮っちゃったり『レモン・インセスト』をデュエットしちゃったりするのものも仕方ないです。この年齢の、この映画の、シャルロット・ゲンズブールでしか絶対に成り立たない可愛さ!もうそれだけで奇跡的な一本です。

 この映画を私が初めて観たのは、高二くらいの頃に午後の授業をさぼってビデオレンタルして観た時でした。当時はシャルロットどころか、セルジュ・ゲンズブールもジェーン・バーキンも知りませんでしたが、何となく手に取って何となく借りていました。それ以来、おそらく両手でも数えられない位の回数は観ているお気に入りの映画なのです。

 とても人気のある作品ではありますが、映画史的には、本作の出来栄えよりも、女優シャルロット・ゲンズブールの始まりの1作(1984年の『残火』でスクリーンデビューしているが、本作でセザール賞の若手女優賞を獲得し人気を得た)であり、ヌーヴェルヴァーグ前後の多くの名作で助監督を務めてきたクロード・ミレールが主監督として撮った作品という位置づけが強いかもしれません。

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★関連記事(シャルロット・ゲンズブール関連)
 →アルバム『IRM』(シャルロット・ゲンズブール)
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映画『憎しみ』(監督:マチュー・カソヴィッツ)

La Haine / DIR:Mathieu Kassovitz [フランス, 1995, 94m]

  "50階から飛び降りた男がいた
  落ちながら彼は確かめ続けた
  ここまでは大丈夫
  ここまでは大丈夫
  ここまでは大丈夫
  だが大事なのは落下ではなく――
  着地だ "
  (作中のユベールのセリフ)

 90年代フランス映画の大傑作。これほどまでにヒリヒリとした、あの時代の空気感をフィルムに焼き付けた映画は後にも先にもない。
 カンヌ映画祭で監督賞、セザール賞では最優秀作品賞を受賞している。

 舞台はパリ郊外の移民や低所得者の暮らす団地。あるアラブ人の青年アブデルが警察に虐げられ重体となった事件がきっかけで、移民系の若者たちを中心とした暴動に発展する。
 モノクロームのフィルムで映し出されるその暴動の様から映画は始まる。ボブ・マーリーの"Burnin' & Lootin''"が流れる。ひとりで扇町ミュージアムシネマでこの映画を観ていた私は、このシーンで既に鳥肌がたった。90年代グランジ以降のヒリヒリした感触がそのままスクリーンから伝わってくる。サイード、ヴィンス、ユベールという3人の若者が、行き詰った現状のクソみたいな生活を脱したく、しかし何もできないイライラが、短いカットのフィルムで切り取られる。

 3人の主役はパリ郊外のリアルな若者だ。サイード・タグマウイの演じるアラブ系移民のサイードは、喧嘩っ早い上にビビりやすい。思考はガキっぽいところがあるが、なんだかんだで3人の中心にいる。
 ヴァンサン・カッセル演じるヴィンスは、キレやすく暴力的な性格。彼は件の暴動のさなかで警察の拳銃を手に入れ、拳銃を所持することでさらに気が大きくなり暴走しがちになる。それを抑えるのがユベール・クンテ演じる黒人のユベール。現状に強い不満を感じてはいるが、この中で最も現実的で大人な性格の持ち主。

 彼らは、こんな世界をぶち壊してやりたいと思っている(作中で"世界は君たちのもの!"と書かれた看板が2度映る。2度目はサイードが"世界はオレたちのもの!"に書き換える)が、しょせんはただのワルガキども。警察に楯突いてみたりするが、勝てるわけもないし、例え警察をぶん殴ったところで結果世界は何ひとつ変わらない。それでも楯突かずにはいられない。しかし、どうやったっていい方向になんて進みようがないのだ。
 3人でパリの街に出た際、ビルの屋上でユベールが口にするのが記事冒頭に書いたセリフだ。現状を脱しようと彼らは足掻いている。足掻けば足掻くほど落ちていく。どこかで諦め、着地をしなくてはならない。地面に叩きつけられる前に。
 パリで終電を逃し、始発まで時間を潰している間に、重体だったアブデルが死んだというニュースが街のテレビから伝えられる。それを見ていた彼らの中で何かが切れたであろうが、3人は黙っている。そして、この映画のラスト5分間のシーン――パリのごろつきに銃を突きつけるヴィンスのやりどころのない憎しみ、ヴィンスを救うユベール、郊外の町に戻り駅から出たところで3人が分かれようとした直後の出来事、この5分間に映画の全てが凝縮される。エンドロールの最中もずっと、自分の中で何かが震えて続けていた。


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 映画のサントラも、マイナーだけどカッコいい。 でもやはり、群を抜いて"Burnin' & Lootin'"のカッコ良さが目立つ。それならいっそボブ・マーリーのアルバムを聴いてしまえ。すげえぞこれも。この曲が収録されているボブ・マーリーのアルバムは『Burnin』かライブ盤『Talkin' Blues』。

カフェオレ/憎しみ Original SoundTrack
BMGビクター (1996-09-21)
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 急に話が変わるが、私が新入社員として配属されたグループで自己紹介をしたとき、映画が好きだと言うと、どんな映画を観るのかと聞かれた。「フランス映画が好き」だなんて言うと気取った奴だと思われるかと不安になりながらも、好きなものはしょうがないのでそのまま言った。杞憂だった。上司は『ぼくの伯父さん』の大ファンであり、先輩はヨーロッパ各地を放浪しながら各地の映画を観ている人だった。特に好きなフランス映画としてこの『憎しみ』を挙げると、その先輩は強く賛同してくれた。彼曰く、フランスには何度か行ったが、あれが本当のパリとパリ郊外の姿だ、と。
 そこの頃、私はこの映画のDVDが欲しくて探したものの廃盤になっており、しかし諦めきれずオークションでプレミア価格の1万数千円で買った。が、直後にリマスター版DVDが2980円でリリースされた…。でも後悔はしていない。私にとっては、1万数千円以上の価値のある映画なのだ。ちなみに現在はブルーレイにもなっている。

 この映画は、マチュー・カソヴィッツ監督の長編2作目にあたる。監督1作目の『カフェ・オレ』は、同作と同じくヴァンサン・カッセルとユベール・クンテが出演しているラブコメ。人種差別問題を汲み入れながらも、さらっと軽く良質のコメディ映画にしてしまうあたり、器用な監督なんだなあと思う。その後の活躍はご存知の通り、『憎しみ』で世界中から注目され、次作『クリムゾン・リバー』が大ヒット。俳優としても成功しており、『憎しみ』とは正反対のかわいい映画『アメリ』で助演したり、トランティニャン主演のノワール映画『天使が隣で眠る夜』ではセザール賞の新人男優賞を受賞もしている。
 ヴァンサン・カッセルも俳優として大出世したが、注目を集めたのはこの映画がきっかけ。モニカ・ベルッチと結婚までしちゃったんだっけ。

映画『女は女である』(監督:ジャン=リュック・ゴダール)

Une femme est une femme / DIR:Jean-Luc Godard [フランス/イタリア, 1961, 84m]

 『勝手にしやがれ』『小さな兵隊』に続くゴダールの長編3作目にして初のコメディ作品。アンナ・カリーナ、ジャン=クロード・ブリアリ、ジャン=ポール・ベルモンドと、ヌーヴェルヴァーグを代表する3人が主演をとっている。また、ゴダール初のカラー作品であり、目に鮮やかな色彩が眩く駆け巡る。
 カイエ・デュ・シネマの仲間たちが次々成功をおさめ、ゴダール自身も長編デビュー作『勝手にしやがれ』で大きな名声を獲得していた時期、更に言えばアンナ・カリーナと結婚直前という幸せな時期に撮られた映画であり、ノリにノった中で奔放に作られた作品であることがカットの端々から感じられる。また、音楽を担当するのは大物になる前のミシェル・ルグラン。既にルグランらしい華麗な曲になっているが、ゴダールはその音楽や市井の雑音をぶった切って無音状態の中でセリフを挟み込んだりと凝ったことも。

 内容は、一言でいうと男と女の痴話喧嘩噺だ。それ以上に付け足し様がないくらいに終始痴話喧嘩なのだ。アンジェラ(アンナ・カリーナ)とエミール(ジャン=クロード・ブリアリ)は同棲している恋人同士なのだが、アンジェラは子供を欲しがり、エミールはそのうちな、とはぐらかす。女性にとって子供が欲しいというのは真剣な問題だ。けれどもアンジェラは、当てにならなそうな検査器の結果でその日が排卵日であったために、24時間以内に子供が欲しいと訴える素っ頓狂な女の子なのだ。その辺りはエミールに同情しなくもない。
 この痴話喧嘩に、エミールの友人であり、アンジェラに想いをよせるアルフレッド(ジャン=ポール・ベルモンド)も絡んでくるが、『突然、炎のごとく』のような切実な三角関係にはならない。3人ともがそれぞれに自分勝手なオトナなのだ。そして、アンジェラは正に女である。深刻で滑稽でわがままで、その実、情に深い。
ツインテールにパジャマ姿のアンナ・カリーナは貴重かもよ?

 かくしてアンジェラとエミールの間で過酷な冷戦が繰り広げられることになる。
 夕飯は黒焦げのローストビーフ。半熟卵でも作ろうか?とアンジェラが尋ね、いいねとエミールが答える。但し半熟卵を作る代わりにアンジェラが提示する条件が子作りなのだ。その後、フランス語の"R"の発音について二人で"RRRRR!!!"と叫び合いになる。しまいには、エミールがアルフレッドを呼び寄せ、アンジェラと子供を作ってくれと言う始末。
 アルフレッド「これは悲劇かい?喜劇かい?」
 エミール「女が絡むとわからん」
アンジェラとアルフレッドはバスルームに入るが、もちろんそんな行為には及ばない。それどころか、エミールとアルフレッドは2人で食事に行くと言い出し、追いかけてきたアンジェラに、2人のうちどっちが好きかと尋ねる。アンジェラは「変わったことが出来る方がいい」と答え、ふたりは一発芸を見せあった後、結局男ふたりで食事に出てしまう。なるほど1人の女の子に対抗するには、男が2人必要だ!
 冷戦はますます熾烈を極めることになる。ふたりでベッドに入ってから無言の口喧嘩が始まる。暗闇の中、アンジェラがベッドサイドのシェードライトを傘のように持って本棚へ行き、一冊の本を持ってきてタイトルを見せる。"けだもの"と書かれている。今度はエミールが同じようにし、"出ていけ、消え失せろ"と見せる。ふたりでそれを何度も繰り返すのだ。

 全編に渡ってこんな調子であり、至る所でゴダール流の喜劇が繰り広げられる。

 滑稽な冷戦の合間には極めて映画的なシーンも存在する。
 エミールのことを想いながらもアルフレッドと喫茶店でデートし会話を交わすシーン、その後ジュークボックスでシャルル・アズナブールの歌を聴く。女を非難する歌だ。エミールが他の女性と一緒にいる写真を見せられ、アンジェラは感傷的に歌に聴き入る。(結局その後にはエミールと、アズナブールの歌の始まりが"タ・タ・チ・タ"か、"チ・チ・タ・タ・チ"なのかで喧嘩するのだけど!)
 アンジェラは、アルフレッドとの別れ際にこう告げる。5分後にアンジェラが部屋の日除けを降ろしたらアルフレッドの元に戻る合図、もし日除けが降りなければ戻らずに幸せな証拠!と。煙草を咥えそわそわとアルフレッドが見つめる部屋の4つの赤い日除けは、順番に上がったり下がったり…。


 ハリウッドのミュージカルに憧れを抱いていたゴダールは、この作中でその想いを表してもいる。しかし歌ったり踊ったりはさせない。鮮やかな青い服に真っ赤な傘を持ったアンナ・カリーナに数カットの可愛いポーズを決めさせる。そこにベルモンドも加わり、二人で可笑しなポーズをしたカットを次々に切り替える。最後にアンナはベルモントのお尻を蹴って逃げ出すのだ。その傍らでは見知らぬカップルがずっと抱擁している。(このカップルは他のシーンでもずっと抱擁している)
 ゴダールはまた、メタ映画的な遊びもふんだんに盛り込んでいる。エミールがアルフレッドを家に呼び入れたシーンでは、ベルモンド演じるアルフレッドに「何だい?早くしてくれ。TVで『勝手にしやがれ』を見たいんだ」と言わせてみたり、冒頭の本屋さんでは「地下鉄のザジ」が表紙になった雑誌が置いてあったり、『ピアニストを撃て』ネタも登場する。ベルモンドがカメラ目線でにやりと笑いながら鑑賞者に投げかけるようにセリフを言うシーンもある。ベルモンドが、喫茶店にいたジャンヌ・モローに対して「ポールとジルは?」(『突然炎のごとく』でジャンヌ・モローと三角関係になる二人の役名)と尋ね、「雨のしのび合い、よ」(ベルモンドとモローの共演作のタイトル)と答えるという、ちょっとやりすぎなネタまであったりする。

 それにしてもゴダールの映画に登場する女性はみな魅力的だ。それは、彼が女性を真に女として描がけるが故と思うが、その始まりをこの映画に見ることができる。この映画の中では、まったく女は女である。そしてまた男も男である。

 この映画を一言で表現するならば、終盤のエミールのセリフを引用するのが最も楽な仕事であり、また的確だ。「喜劇か悲劇か分からなくなったが――ともかく傑作だ

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★関連記事(ヌーヴェルヴァーグ関連)
 →映画『パリでかくれんぼ』(監督:ジャック・リヴェット)

映画『ファインディング・ニモ』(ディズニー&ピクサー)

Finding Nemo / DIR:Andrew Stanton (Disney&Pixar) [ アメリカ, 2003]

 ディズニーといえば、千葉のランドやネズミさんは好きじゃないのだけど、ディズニー映画が良作揃いであることは認めざるをえない。

 昨日、子供がつけっぱなしにしていたディズニーチャンネルで『ファインディング・ニモ』が始まり、CGアニメで描かれる深海の色鮮やかな表現に感嘆しながら見ているうちに、結局子供そっちのけで私がハラハラドキドキしながら最後まで見てしまった。
 人間に捕まった小さな魚(クマノミ)の子供ニモを救うために、臆病な父親マーリンが大海原を冒険する一大スペクタクル。笑いあり、ハラハラあり、感動ありで、最後は当然ニモと父親が再会できるハッピーエンド。家族で安心して見れて、大人も楽しめる。製作者側としても、予定調和なハッピーエンドは当然の大前提なので、そこまでの過程をいかに楽しませるかで勝負してくる。そして案の定、製作者側の圧勝で終わる。素直に楽しい映画だった。
 能天気で物覚えが悪いが善良なドリー、魚たちと仲良くしようと努めるが凶暴さを隠し切れないサメたち、恐ろしいチョウチンアンコウやクラゲの集団、海流に乗ってマーリンを助けてくれるウミガメの一族、捉えられたニモと同じ水槽で飼われていてニモを助けようと四苦八苦する魚たちなど、魅力的なキャラクターに溢れているのはさすがのディズニークォリティ。そして何よりも主人公のニモがかわいらしい!
 監督・脚本は、トイ・ストーリーやモンスターズ・インクなどのPIXAR作品の脚本を手掛けてきたアンドリュー・スタントンで、この映画の公開は2003年。これほどまでに美しい色彩に富み、生き生きとした海中の景色をCGで描かれたのが、もう10年以上も前になるのだ。日本の工場制手工業のアニメにも相応の魅力があるが、エンターテイメントとして安定した作品の量産という観点では、ディズニー&ピクサーにはもう敵わない。日本のアニメ界には、そろそろひとつ思い切り突き抜けた作品を作ってもらいところ。

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映画『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(監督・脚本:ウディ・アレン)

Everyone Says I Love You / DIR: Woody Allen [アメリカ, 1996, 102m]

 N.Y.の裕福なある家庭の物語をハッピーに描くロマンティック・コメディ。ミュージカルあり、ダンスあり、くるくると転がる恋愛事情あり、舞台もN.Y.からヴェニス、パリへと巡る、ゴージャスな映画なのだ。

 もうね、可愛らしいドリュー・バリモアとちょっと間抜け表情のエドワード・ノートンのラブラブミュージカルシーンで幕を開けて、通り掛かったイヴ・サン・ローランのマネキン達まで踊り始めたところ、映画冒頭数分のところで、これは超ハッピーで素敵な映画だ!!と確信。前年の同監督作「誘惑のアフロディーテ」が残念な出来だったので尚更、ノリノリで観入ってしまいました。

 ウディ・アレンの映画というと、神経症気味の主人公にシニカルなユーモア、皮肉の効いたドラマといった「インテリジェントな嫌味さ」こそが魅力なのだけど、この映画の場合の「嫌味さ(=魅力)」は、恋愛ドラマをドラマとして見せない、ドラマになる前にもう次の展開に進めてしまうような、ドラマ性の回避にある。であるのに、この愛すべき家族の一年間の恋愛模様は、誰をも魅了するほどドラマチックに映るのだ。
 シニカルなユーモアも全編に渡って散りばめられているけど、それは主役ではない。映画的なシーンをきれいに切り取り、それを少しずらしたり傾けたりしながらペタペタ貼り付けたかのような軽やかさで、まるで映画じたいが踊りだすかのようなテンポで流れていく。キャンディ缶がはじけたかのようにカラフルで、愛らしく動き回り、恋し、失恋し、また恋する登場人物たち。観ている方としては、ついうっとりしてしまう。


 キャストも超豪華。しかも、単に名俳優/女優を集めた訳ではなく、観終わった後で考えてみると、全てのキャストがその人以外にはないだろうと思わせるくらいの適役。

 まず一家を支える父親ボブ役は、TVドラマ版「M*A*S*H」で有名なアラン・アルダ。自分勝手な家族たちをおおらかに見守る温かい父親役。その妻ステフィを演じるのはラヴコメの女王ゴールディ・ホーン。当時51歳にしてあのキュートさといったら美魔女どころの騒ぎではない。ステフィの元亭主(いまでも想いを引きずっている)であり、ステフィの再婚相手ボブと親友でもある売れない作家役ときたら当然のウディ・アレンご本人。これまた当然ながら神経症を患っている。
 ボブとステフィ一家の子供たちは、ドリュー・バリモア、ナタリー・ポートマン、ルーカス・ハース、ナターシャ・リオンと、これでもかという程のキャスティング。更に更に、ウディ・アレンが恋するお相手にジュリア・ロバーツ、ドリュー・バリモアが一時期惹かれてしまう元服役囚役にティム・ロス、そしてドリュー・バリモアの婚約相手としてエドワード・ノートン(この俳優、大好きなのである!)と、目が眩むような名前が並ぶ。

 あっという間の102分。とても温かく幸せな気持ちになれる映画ですよっ!


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