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漫画『茄子』(黒田硫黄)

 『茄子』は、2000年代を代表する実力派マンガ家のひとり黒田硫黄が、2000年~2003年にアフタヌーン誌に連載していた基本1話完結の連作漫画であり、彼の代表作。

 wikipediaの彼の項によると、「文芸評論家の大庭萱朗は、"黒田硫黄のマンガのすべてのコマ、すべてのページに、観ることと描くことの歓び、そして生きることの瑞々しさが横溢している。"と評した」とあるが、この評には全面的に賛同できる。

 筆で描かれた味わいのある濃い画風にはクセがあるが、語られるのは淡々とした日常である。あるひねくれたオジサンを一応の中心に据えてはいるが、各話毎に主人公や舞台/時代設定が入れ替わり、また別の話でも彼らが再登場したりするため、群像劇のような趣もある。
 平々凡々とした日常にも、それを生きている人間には色々と思いがあり、その人の生き方が現れるもの。それが、あってないような物語の段取りとセリフ回しの巧みさ、有無を言わさぬ画力によって、説得力を持って語られる。


 黒田硫黄は、この作品の前に『大日本天狗党絵詞』という濃密な物語の漫画を連載していた。それと比べると、この『茄子』では余計な力が抜け、描きたいことを描きたいように描いているように思う。
 そして、彼の作品(この『茄子』や他の短編)に登場する少年少女たちは皆、とても肯定的に描かれている。ひねたガキンチョも健康優良児もまとめて肯定されている。そこがこの漫画の輝いているところでもあり、清々しく読める所以でもあると思う。

 タイトル通り、作品の所々に茄子が登場する。普通に食材としてだったり、農作物としてや少女と少年を繋ぐ鍵として、時には敵役としてまで茄子が登場。特に茄子が好きな訳ではないのに、これを読むと妙に食べたくなる。巻末にレシピも有り。

 収録作にはお気に入りの話がたくさんある。若隠居したい少年とだらだら生活している少女の第8話や、新婚夫婦が夜食に茄子とビールを獲得するまでの愛と妄想の物語である第15話、親が失踪して弟たちのためにお金を稼ぎたい女の子が奮闘する第9~10話、オジサンの元に時々寝だめしにくるエリートウーマンが登場する第3話、"おまえ自分以外はばかだと思ってるだろう""、"いいじゃないか卑屈じゃなくて"という会話が心に残る第7話など、挙げて行くと枚挙がない。



最近だと新装版の方が入手しやすそう。
 




 ちなみに宮崎駿も『茄子』を絶賛しており、第1巻に収録されている「アンダルシアの夏」は、宮崎駿の力添えを得て高坂希太郎監督&マッド・ハウスによってアニメ映画化されている。



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